Φ23 神々を訪ねて(その2)

東国三社の旅


< 目 次 >

東国三社の「二等辺三角形」/見つからない「楽な道」/「楽な道」ではなく「楽な方法」を/鹿島の「高天原」/息栖神社で感じた「控えめな愛」/ゴールに近づくほど、歩数は増す/香取神宮で感じた「静かな陽気」/二等辺三角形の「頂点」の謎/二つの平和/朝日と夕日


今回は、前回(Φ22)の続編です。 

 

東国三社の「二等辺三角形」

さて、「鹿の視線」のシンクロニシティをきっかけとして、次の行き先が「鹿島」に決まりました。東京に戻った私は早速、鹿島神宮(茨城県)行きの旅程を組みはじめました。

 

これまでと同様、ネットで経路や由来等を確認してみました。すると、どうも「正式」には、鹿島神宮だけでなく、その近隣にある香取神宮(千葉県)と息栖(いきす)神社(茨城県)を合わせた「東国三社」をセットで回る必要があるらしい、ということが分かりました。

 

地図で確認すると、この三社は利根川の水郷地帯に「二等辺三角形」を形成するように点在していました。

 

各社間の距離は、その「二等辺」に当たる鹿島神宮-息栖神社間および香取神宮-息栖神社間がそれぞれ約9㎞、「三角形の底辺」に当たる鹿島神宮-香取神宮間が約13㎞ありました。

 

前回の旅(諏訪)と同様、現地での移動手段が最大のネックになりそうでした。しかも今回は青春18切符の残り回数が「1」。つまり、日帰りが前提となります。

 

このうち、鹿島神宮-香取神宮間はJR線が走っているので、大きな支障はなさそうでした。

 

問題は、二等辺三角形の「頂点」にあたる「息栖神社」へのアクセス方法でした。

 

見つからない「楽な道」

息栖神社のJR最寄り駅は千葉県の小見川駅です。しかし、同駅から息栖神社方面へ向かう路線バスはありませんでした。

 

むしろ、この方面に向かうバスは、「二等辺三角形」の逆サイドともいえる鹿島神宮駅から出ていました。ですが、便数は1日数本で、最寄りバス停といっても息栖神社から4㎞以上離れた場所にありました。

 

タクシーとレンタカーはコスパ的に対象外でしたし、レンタサイクルを利用できそうなポイントも見当たりませんでした。どうも、最寄りバス停-息栖神社-小見川駅の計13㎞だけは、徒歩以外に移動手段はなさそうでした。時間にして約1時間半の歩きです。

 

実は、香取神宮へのアクセスも決して良いとはいえず、徒歩で片道30分ほどかかりそうでした。この往復1時間と合わせると、全体で最低2時間半は徒歩移動を強いられることになります。

 

各社内での歩きを含めると、歩き通しの1日になることは必至でした。少しでも楽なルートはないかと何度もシミュレーションを繰り返しましたが、答えはいつも同じ1つのルートに収束しました。

 

それは、「鹿島神宮→息栖神社→香取神宮」というルートでした。

 

こうして私は、「二等辺三角形」に沿って「孤独な行軍」を進めることになったのでした。

 

「楽な道」ではなく「楽な方法」を

そうはいっても、少しでも楽がしたいと考えるのが私のエゴ。どうせ長距離を歩くなら、せめて「晴れの日」にしようと思い、念入りに天気予報を調べて出発しました。

 

楽な「道」ではなく、楽な「方法」を考えることにしたわけです。同じ道でも、行動の選択肢は一つではありませんし。

 

思えば、休日が決まっていたサラリーマン時代は、好天を選んで旅に出ることなどできませんでした。これもある意味、贅沢な旅ではあります。

 

さて、東京を出発したのは午前4時半、外はまだ真っ暗でした。東京駅から総武線の快速に乗車しましたが、途中、千葉県に入った辺りで、車窓越しに「朝日」を拝むことができました。実に幸先のよいスタートとなりました。

 

成田経由で鹿島神宮駅に到着したのは午前7時半過ぎでした。平日の早朝ということもあり、参道は人影もまばらでした。

 

境内に入ると、巨木が林立する見事な森が広がっていました。その一角には「神使」の鹿もいました。

 

ちなみに、鹿島神宮のご祭神は、葦原中津国を平定した建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)です。

 

境内で感じた気もやはり男性的なものでしたが、荒々しいステレオタイプの雷神ではなく、勇猛果敢さを内に秘めた「智将」という感じがしました。

 

鹿島の「高天原」

ところで、絵馬を購入するために立ち寄った社務所で珍しいものが売られていました。それは1冊の書籍で、「鹿島=高天原」説について書かれたものでした。

 

その時は「そんな説があるのか」程度にしか思わなかったのですが、後日ふとそのことを思い出しまして、鹿島神宮付近を地図で確認してみたところ、なんと鹿島神宮の少し東に「高天原」という名前の高台が実際にありました。

 

その場所は、地勢的にはこの一帯で最も標高の高い地点(40m)で、測量基準点も置かれていました。もっとも、地図で見る限り、そこに由緒ある神社等は見当たらず、どうみても普通の住宅地でした。

 

実は参拝当日、私は自分で意図しないままに、この「高天原」の近くまで足を運んでいたようです。境内を散策中に不謹慎ながら煙草が恋しくなったのですが、神聖な境内で吸うわけにもいかず、一旦境内の外へ出てコンビニで一服しました。

 

どうも、そこから東へ1.5㎞ほど行った先が「高天原」だったようです。もっとも、そんなことを知る由もない私は、缶コーヒーを片手に一服し、引き返してしまいましたが。

 

今思えば、少し惜しいことをしました。

 

息栖神社で感じた「控えめな愛」

鹿島神宮で1時間余り過ごし、次の目的地である息栖神社に向かいました。

 

鹿島神宮駅からバスに揺られること約30分、神栖(かみす)市内のバス停で下車し、さらにそこから30分ほど歩きました。

 

神社のある一帯は利根川流域の水郷地帯です。かつては湖のような状態で、その昔、人々は鹿島神宮から息栖神社まで優雅な舟旅を楽しんだそうです。それを思うと、額に汗を滲ませて歩く今の自分が、実に滑稽に思えてきました。

 

さて、息栖神社は、東国三社の一角を占めるとはいえ、鹿島神宮とは比較にならないほど小さな神社でした。ちなみに、御祭神は岐神(くなどのかみ)という道祖神系の神様です。

 

境内で感じられた気は女性的な、それも、うら若い年頃の控えめな女性という印象を受けました。とても親切で優しそうな気でした。

 

また、「一の鳥居」のたもとには「忍潮井(おしおい)」と呼ばれる小さな2つの井戸(男瓶・女瓶)がありました。その井戸からは、まるで「地球」のエネルギーがこんこんと湧き出ているかのようでした。

 

この井戸を見ていて、なぜか、伊勢・二見興玉神社の「夫婦岩」のことを思い出しました。

 

かたち的には、忍潮井は「凹凹」で、夫婦岩は「凸凸」です。この両者は、もしかしたら「ツーペア」の関係にあるのではないか…。

 

根拠は何もありませんが、そんな気がしました。

 

ゴールに近づくほど、歩数は増す

息栖神社に小一時間ほど滞在した後、一路、JR小見川駅を目指すことにしました。

 

同駅は利根川を渡った先、お隣の千葉県にあります。息栖神社からは徒歩で約1時間の道程です。

 

ここまでの倍の距離を歩くのかと思うと少し気が滅入りましたが、予定の列車を逃せば大幅な時間ロスにつながるため、意を決して進むほかはありません。

 

車が行き交う幹線道路脇の歩道を、一人黙々と歩き続けました。最初は順調でしたが、利根川の堤防坂に差しかかった辺りから徐々にハードになってきました。

 

川には差し渡し1.7㎞の長大な橋がかかっていました。橋の上は思いのほか風が強く、少し緊張しました。

 

次第に喉も渇いてきましたが、橋の上で休むわけにもいかず、橋を渡りきった土手の所で給水休憩をとりました。

 

その後、再び歩き出しましたが、やはり疲れていたのでしょう。足取りが格段に重くなりました。

 

利根川を越えて、確実に目的地に近づいているはずなのに、「ゴールに近づけば近づくほど、歩数が増していく」、そんな感じでした。

 

真我への道程も、そういうものかもしれませんが。

香取神宮で感じた「静かな陽気」

ようやく辿り着いたJR小見川駅で成田線に乗り、2駅先にある香取駅で下車しました。時刻は午後2時頃でした。

 

名高い香取神宮の最寄り駅とはいえ、そこは小さな無人駅でした。バスの発着もなく、香取神宮までは30分ほど歩かなくてはなりません。

 

同神宮は小高い山の中にあり、その手前は坂道になっていました。水郷地帯を踏破したばかりの身には、きつい登り坂でした。

 

さて、香取神宮の御祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)で、鹿島神宮の御祭神である建御雷之男神と共に葦原中津国を平定した神様です。まさに両雄的な二神ですが、境内の雰囲気は大きく異なっていました。

 

早朝に訪れた鹿島神宮の森は、巨木が林立する「縦」の世界でした。一方の香取神宮の森は、広葉樹がひろがる「横」の世界で、空間的な対称性が際立っていました。

 

なお、香取神宮で感じた気も、鹿島神宮と同じく男性的なものでしたが、どこか陽気な感じがしました。もっとも、そこに浮ついた雰囲気はなく、敢えて言うなら「静かな陽気」という感じでしょうか。

 

二等辺三角形の「頂点」の謎

香取神宮の参拝を終えたのは午後3時前でした。千葉・成田方面行きの列車の時間が迫っていたので、急ぎ足で香取駅に向かいました。おかげで、汗だくにはなりましたが、何とか予定の列車に乗車することができました。

 

列車の車窓からは、利根川流域の広大な平野が一望できました。一日かけて、この平野の中にある「東国三社の二等辺三角形」を旅してきたわけです。

 

その「等辺」に沿って黙々と歩いている自分を、まるで別の時空間から観察しているかのような気分になりました。真我と自我(エゴ)の関係もこんな感じなのかもしれません。

 

進行方向の右手には、鹿島神宮方面に延びる鉄道高架橋が見えました。

 

…香取神宮は後方だから、息栖神社はちょうどあの辺りか。二等辺三角形が頭に入っていると位置が掴みやすくて便利だな…

 

そんなことを思った矢先でした。ふと、ある一つの疑問が浮かびました。

 

…ちょっと待てよ。どうして息栖神社が二等辺三角形の「頂点」なんだ?

 

社格的には「神宮>神社」のはずです。また、実際に見た各社の大きさも「鹿島神宮>香取神宮>>>>>息栖神社」という感じでした。

 

にもかかわらず、その最も小さな「格下」の神社が、二等辺三角形の「頂点」に配置されているのです。

 

普通に考えて、ちょっと不自然です。

二つの平和

もちろん、三社の位置関係がたまたま「二等辺三角形」になっただけとも考えられますが、そうではなく、意図的に配置されたのだとしたら…。

 

そこには何やら深い意味がありそうでした。

 

この時、まず思い当たったのが、新約聖書の次の一節でした。

 

「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(「マタイによる福音書」第25章40節)

 

ここで「わたし」とは、イエス本人であり、「最も小さい者」とは、他者からの愛や奉仕が必要な状態にある人々のことです。

 

一般的に私たちは、「争いごとがない状態=平和」と考えています。

 

しかし、イエスのいう「平和」とは、この聖書の言葉からも分かるように、さらにそこから踏み込んだ「慈悲がある状態」のことであり、スタンダードが異なっているのです。

 

このように、「最も小さい者」が「頂点」に置かれた「東国三社の二等辺三角形」に、キリスト教的な「平和」のコンセプトを感じとった次第です。

 

前回記事で書いたとおり、諏訪の旅を通じて、聖書の世界観を日本の古代に感じた私でしたが、今回の旅でもそれを感じることになるとは、思ってもみませんでした。

 

朝日と夕日

そういえば、同じく前回触れたミレーも、当時の絵画界では「格下」とされた「農民画」を積極的に制作した画家でした。

 

貧しくも懸命に生きる農民の姿をひたすら描き続けた彼の思想背景に、キリスト教の存在があることに疑いの余地はありませんが、キリスト教であれ、神道であれ、神の教えは深いところでは一緒なのでしょう。

 

ところで、東京への帰路、列車の車窓越しに夕日を見ました。場所は、往路で「朝日」を見た場所とほぼ同じ、東京と千葉の境あたりでした。

 

上の写真は、ミレーの代表作『晩鐘』(1859年)ですが、車窓から見た空の雰囲気は、この絵に描かれたものにそっくりでした

 

生命力に満ちた「朝日」も素晴らしいが、慈悲心に満ちた「夕日」も、それに負けず劣らず素晴らしい…。そう思いました。

 

もしかしたら、わが国の国旗である「日の丸」は、朝日と夕日の両方を象徴するデザインなのかもしれません。

 

「青春18切符」を使った日帰りの旅でなかったら、おそらく「二つの太陽」と出会うことはなかったでしょう。この切符を買って正解でした。

 

というわけで、「青春18切符」の旅の記録を終わります。

 


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