Φ21 神の「天球儀」

「〇」と「十」で出来た不思議な形


< 目 次 >

停滞状態/夢ノート/謎の図形/謎の言葉/黒い球体/神のアトラス/入れ子の天球儀/「ここではないどこか」へ


色々あってしばらく更新できませんでしたが、何とか再開できる状態になりました。

 

停滞状態

前回記事(Φ20)を書いた時点で執筆材料の出尽くし感があり、ここ2ヶ月間ほどブログの執筆をお休みしていました。

 

もっとも、詳しくは次節以降で触れますが、この間もインスピレーションは受け取っていました。

 

しかし、それらはいずれも難解な代物で、解釈できるようになるまでに時間がかかりました。

 

今までは、まず一次的なインスピレーションが到来した後、比較的短期間のうちに二次的、三次的なインスピレーションが続いて、自然に意味が生成されてくるのですが、今回は「あること」を実行するまでゴールにたどり着けませんでした。

 

その「あること」とは、伊勢神宮・諏訪大社・鹿島神宮への「観光」でした。3月23日~4月11日までの約3週間、週1のペースで3カ所を周りました。

 

実際に足を運んだことで、インスピレーションの解釈作業に弾みがつきました。

 

そして4月16日、不意に何かの「許可」が出たような感覚を覚えました。ふと気が付けば、新たな執筆材料が出揃いつつありました。

 

それで、ようやく本稿を執筆するに至ったというわけです。

 

夢ノート

とりあえず、この約2ヶ月間の出来事を時系列に沿って書いていこうと思います。

 

まず、前回記事(Φ20)のアップ後、夢の中で奇妙な図形や言葉を頻繁に見聞きするようになりました。

 

しかし、起きてから数分もすると、残っているのは、何か重要なメッセージを受け取ったという感覚だけで、その中身は全く思い出せません。

 

そこで、枕元にノートを置き、可能な限り即座にメモをとるようにしました。

 

朦朧とした意識で書いているため、その中身は幼児の「お絵かき帳」状態でしたが、それでも記憶をたどり直すには十分でした。

 

ノートには不思議な「図形」や「言葉の断片」が殴り書きされていました。

 

なにやら私の上位意識が自らの考えを伝えてきているという印象でしたが、そこに命令・指示的なニュアンスは感じられず、どちらかと言えば、何かの「命題」のようでした。

 

自分自身で考えて「同じ答えに辿り着く」ことを期待している、そんな雰囲気が感じられました。

 

謎の図形

最初のメッセージは、円の内部で十字が切られている記号のような図形でした。どこか薩摩藩の紋章に似ています(この図形に近いデザインの文字が環境依存文字のため、以下、この図形を「〇十」と表記します)。

 

「〇十」の円周部分に相当する「〇」の部分は、微妙に揺らいで「◎(二重円)」に見えるときがありました。どうも何らかの光背効果(ハロー効果)の存在を示唆しているように思われました。

 

その二重円は相互に反対向きに回転しており、内側が時計回り、外側が反時計回りに回転しているようでした

 

この◎(二重円)が、大きさの異なる2つの円を重ね合わせたものなのか、それとも、円周部分が二重線の1つの円なのかは、よく分かりませんでした。

 

さらに、この図形に関する補足説明のような言葉が続きました。それが次節に記載した内容です。

 

その言葉の主は学者のような口調でしたが、そこに私との対話はありませんでした。まるで大学で講義を聞いているかのようでした。

 

謎の言葉

夢で聞いた言葉は次のとおりです。上段が夢ノートの記載内容で、下段がそれを顕在意識下でリライトした内容です。

 

リライトは、ノートを見てすぐに思い出せた内容と、その後のインスピレーションを通じて補遺した内容が、概ね半々という感じでしょうか。

 

①「渦巻き」は、光の象徴。


(相反転する二つの円運動からなる「渦巻き」は、宇宙の根源から流出する光のエネルギーを象ったものである。)

 

②「二重円」と「十字」は、地上の「二重線」と深い関係がある。

 

(渦巻きから生じた光が、十字方向すなわち水平方向と垂直方向の2つの平行線で囲まれた「ユークリッド空間」に変換されている。)

 

③「紫」と「光」でシコウ。紫光、至高、思考。

 

(紫光に包まれた世界は、至高の思考空間である。)


④光に向かうのではない。自分が光。光でないものから出ること。錯覚。

 

(自らを光でないものと錯覚しているから光に向かおうとする。そうではなく、光でない自分すなわちエゴから出ること。)

  

黒い球体

次のメッセージは3月上旬でした。夢に「黒い球体」が現れました。

 

それを見て即座に、「宇宙だ」と思いました。また、この球体は、前回の「〇十」の図形を立体化したものであると感じました。

 

そこで、起きてから改めて「黒い球体」と「〇十」の関係性について考えてみました。

 

仮にこの黒い球体が宇宙だとすれば、その表面は「無限」で覆われているはず・・・などと考えているうち、思い当たったのが、数学に登場する「リーマン球面体」の概念でした。

 

「リーマン球面体」とは、無限遠点を一点追加して複素平面を拡張したものです。

 

「〇十」の十字部分が、複素平面上の虚軸(Y軸)と実軸(X軸)に、〇の部分が複素平面上の単位円(r=1)に、各々対応しているように思えました。

 

地球に置き換えれば、南極点=原点、北極点=無限遠点、赤道面=単位円、南半球=単位円の内側の領域、北半球=単位円の外側の領域、という感じでしょうか。

 

また、比較的最近になってようやく、「〇十」の円周部分に感じられた「相反転する二重円」の意味が分かりました。

 

どうもそれは、原点と無限遠点という「2つの極」から、「赤道面」という一つの対象を、同時に観測している状態を示唆していたようです。

 

思うに、「黒い球体の赤道面」に相当する場所は、宇宙でもかなり特異な空間のようです。

 

天球儀のメタファー

この「黒い球体」のことを考えていた3月のある日、不意に「天球儀」という言葉が入ってきました。

 

「天球儀」とは、かつて天動説が信じられていた時代に普及した、宇宙を象った模型のことです。

 

その存在自体は私も知っていましたが、今まで実物を見たことはありませんでした。ネットで調べてみると、現在でも、主に教材・インテリアとして流通しているようでした。

 

幸いなことに、私が住んでいる街には天体用品メーカーのショールームがありました。そこで、早速足を運んでみることにしました。

 

お店に行くと、手の平サイズの小さな天球儀がフロアの片隅にひっそりと置かれていました。ですが、そのサイズに反して、実物から得られた気づきはとても大きなものでした。

 

天球儀の表面上に描かれた星座の配置が、私たちが見上げる夜空のそれとは左右が逆、すなわち「鏡の関係」になっていることに気づいたのです。

 

そうなるのは、観測位置の違い(宇宙の内側と外側の違い)のためです。要するに、天球儀は「神の視点」を想定して作られているのです。

 

このことに気づいた瞬間、私は軽いデジャヴに襲われました。それはまさに「黒い球体」を見ていた夢の視点そのものだったからです。

 

神のアトラス

天球儀の実物を手にしてから程なく、再び夢の中で謎の言葉を聞きました。それが次の内容です。なお、括弧書き部分は、顕在意識の下でリライトした内容です。

 

①宇宙にはたくさんの天球儀がある。ここもその一つ。「コトアマツカミ」は、別の天球儀から来た。

 

(神の視点単位に宇宙があり、それらで構成される「超宇宙」というものがある。天球儀とは、いわば「神のアトラス(地図帳)」であり、この地球を含む太陽系は、その1頁に過ぎない。ちなみに、古事記に登場する「別天津神」とは、別の次元(地図帳の別の頁)を本拠地とする神々のことである。)

 

②神が直接地上に関与すると、世界の動きはむしろ激しくなる。

 

(天球儀の外側から内側に関与した場合、神の視点では極小的な変更でも、内側にいる人間にとっては、自然界の秩序変更に関わる出来事として認識される。)

 

③神は自らの光を分割し、多くの人間に分かれている。

 

(人間は、神の「有限化した光」として、内側から秩序をもたらたすために存在している。本来、外部からの関与はイレギュラーである。)

 

④人間は今も「エデン」とつながっているが、錯覚している。

 

(人間は意識の底を通じて、今もなお「エデン」のような至福の意識状態とつながっているが、自ら余計な想念を発しては、原初のアダムとイブの境涯から遠ざかっている。原罪(げんざい)は現在にあるが、人間はそれを過去の出来事と錯覚している。)

 

入れ子の天球儀

さて、これも最近になって気づいたことですが、どうも「黒い球体」の夢は、前回記事(Φ20)で言及した不思議な夢の続きでもあったようです。

 

1月に見たその夢では、地球の内側が空洞世界になっていて、そこに内部太陽が浮かんでいるかのようなイメージでした。

 

そして、外側の宇宙空間にはどういうわけか、太陽や月はおろか一切の天体が存在していませんでした。

 

その点が不思議といえば不思議だったのですが、「天球儀」というメタファーを得たことで、理解が進みました。

 

どうも1月に見た天体は「地球」ではなく、「天球」だったようです。より正確に言えば「太陽を中心点とする天球」です。

 

それ故に、天球の内部空間の中央に「太陽」が浮かび、天球の外側に「虚空」が広がっていたのです。

 

もしかしたら、これがいわゆる「太陽神霊界」で、その「天球儀」の内部には、さらに各惑星を中心点とする「サブ天球儀」が複数収まっているのかもしれません。

 

その一つがいわゆる「地球神霊界」であり、さらにその中に、「最小のサブ天球儀」としての「人間を中心点とする天球儀」も収められている・・・

 

ふと、そんなことを想像した次第です。

 

「ここではないどこか」へ

以上、今年の2月から3月にかけて見た夢の話を綴ってきましたが、冒頭でも述べたとおり、その解釈作業は一筋縄では進みませんでした。

 

意味が「わかる」ときは、それまでの思考の断片が面白いようにつながってくるのですが、今回はいつもと勝手が違いました。

 

そろそろブログを書かないと・・・と焦りつつも、夢の解釈作業はなかなか思うように進みません。

 

無理しても仕方がないので、以前のような感覚が戻るまで待つことにしましたが、状況に変化は見られません。どうも、自分の意識を一度シャッフルする必要がありそうでした。

 

そこで、久しぶりに旅に出てみようと思い立ちました。しかし、とくに行きたい場所があったわけでもなく、目的地は強いて言えば「ここではないどこか」でした。

 

なので、とりあえず「青春18切符」を買うことにしました。

 

そう決めてからでした。行き先がにわかに定まってきたのは・・・。そして、最終的には「伊勢-諏訪-鹿島」を巡ることになるのですが、その話はまた別の機会に書こうと思います。

 

(記 二〇一八年の八十八夜の日)


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